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【連載コラム】

山岡大基の教育論〈英語教育論編〉1

2011.10.04

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【はじめに】
教師経験からの提案として
・英語教師が授業を作る力には、発達段階を想定することができるのではないか
・発達段階を想定することで、教員養成や現職教員研修の中で、英語教師のよくやるつまずきに、よりよく対処する道筋が見えるのではないか

【(1)文章を構成する個々の要素を理解することに主眼を置く授業】
下の文章は、高校「リーディング」の、ある検定教科書からの抜粋です。

After the war, Miep gave Anne's diary to Otto. In time, he decided to publish it. He hoped that others could learn how lively and kindhearted his young daughter had been. Many years later, Miep herself wrote a book, which she called Anne Frank Remembered. In it she wrote, "I am not a hero ... I was only willing to do what was asked of me and what seemed necessary at the time." But to people who know the story, Miep Gies is a hero. She is a woman of remarkable courage and strong will. She will always be remembered as a little light during some of history's darkest days.
(第一学習社 Voyager Reading Course Lesson 13 Miep Giesより)

この教材は、アンネ・フランクの一家がナチスの迫害を逃れて身を隠すのを、計画段階から最後まで手助けしたMiep Giesという人物についての伝記で、上の引用は、教材の最後の部分です。
これを使って授業をするとします。どのような授業が考えられるでしょうか?

たとえば、in timeといった熟語やhow lively...had beenの感嘆文の構文、a woman of remarkable courage and strong willにおけるofの用法などに着目し、これら個々の項目について生徒に理解してほしいと考えたとします。

この場合、授業において優先すべきは、それら個々の項目を生徒に理解させることであり、文章として書かれている内容の理解は、個々の項目の理解の総和として立ち表れてくるものと考えられるでしょう。
いわゆるbottom-up的な発想です。

具体的な教材例としては、たとえばこのようなものが考えられます。
基本的な方針としては、部分の理解を積み重ねていくことが、この文章全体を理解することに等しい、というスタンスです。

後述するように、この教材をどのように扱うかについてはバリエーションが考えられます。
このようなプリントを生徒に配布する場合、授業前に予習させてきて、授業では答えあわせをしていく、というやり方もあるだろうし、授業の場で生徒に取り組ませる時間を割くやり方もあるでしょう。
生徒に取り組ませるのにも、個人個人で取り組ませることもできれば、ペア・トリオやグループで協力して答えを出させていくこともできます。
あるいは、プリントではなくて教師が口頭でこれらの発問をしていく展開も可能でしょう。

しかし、そういったhow to teachの面ではさまざまなやり方が考えられるにせよ、what to teachについては、いずれも個々の項目の理解を重視するという点は変わりません。

一斉型で行なうとして、教師がひたすら説明する講義型も可能だし、生徒とやり取りしながら答えを引き出していくやりかたも可能です。
また、ペアやグループで考えさせるやり方もあるだろうし、部分的に答えやヒントを与えることで、生徒が自力で答えを導き出すまでの負荷をコントロールすることもできます。
教えたい個別の項目を、教材の文章の中で出てきた順に扱うこともできれば、教えたい項目だけを先に取り出して集中的に扱っておいて、教材の文章を扱う段階では、それらの項目は既習のものとして授業を進めることもできます。
逆に、教材を生徒が個人やペア・グループで読みながら、各々がぶつかった困難点を互いに出し合って、自分たちで解決できるところは解決させてみるような、自由度の高い協働学習をすることも考えられるでしょう。

このタイプの授業は、準備は簡単です。
教える内容は「知識の切り売り」で済む場合が多く、よほど高学力の生徒を教えるのでなければ、教師は自身の学習経験から、教えるべき内容を導き出すことが容易にできます。
また、学校の教科書であれば教師用のマニュアルが整備されていますから、自身の経験に頼らずとも、マニュアルに書かれていることをそのまま教えれば、少なくとも間違ったことを生徒に教える危険性はありません。

もちろん、授業は往々にして単調になりがちで、生徒の学習意欲を喚起しにくいという面があり、それについては、話し方を工夫するとか、教材の提示の仕方を工夫するとか、生徒の活動の形態を工夫するとか、つまり、howの部分に工夫の余地が多いといえます。
しかし、生徒がそれほど反抗的でない限り、そして授業の成果を度外視する限り、このタイプの授業はいちおう成立させることは容易です(生徒の多くが指導内容を十分に理解していなくても、教師の説明などをノートに一生懸命書きとめてさえいれば、いちおう何となく授業が成立したとみなしてよさそうな雰囲気になる)。

※「地道にマジメに英語教育」から一部修正のうえ転載

山岡大基の教育論〈英語教育論編〉2」へ続く。

山岡大基(やまおかたいき)さん
中学・高校の英語教員
2001年度〜2004年度 近畿地方の高校
2005年度〜中国地方の中高一貫校に勤務

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