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【連載コラム】

山岡大基の教育論〈英語教育論編〉2

2011.10.18

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この記事は「山岡大基の教育論〈英語教育論編〉1」の続きです。

【(2)文章を「練習材料」とした「トレーニング」に主眼を置く授業】

(1)コマの授業のタイプとは対照的に、個々の項目の理解はさておき、教材の英語を、種々のトレーニングを通じて、英語習得に役立つ"intake"として学習者に内在化させようとする授業が考えられます。

たとえば、最近ポピュラーな教材としては、このようなもの(PDFファイル)を作ることができるでしょう。
これを使って、たとえば音読、音読筆写、視写、ディクテーション、暗唱・暗写、オーラル・リプロダクションなどの練習を徹底して行うわけです。

これまたhowの面では、個人で行なったりペアで行なったり、プリントを使ったり使わなかったり、というバリエーションが考えられますが、whatの面としては、ともかく教材の英語こそが学習すべき内容であり、それを内在化させることが主眼であることに変わりはありません。

こういった授業においては、文章を構成する個々の項目については、取り立てて説明することも当然ありうるでしょうが、基本方針としては、練習を行う中で自然とそれが身についていくことを期待するということになります。

また、文章全体の理解については、内容面では、有り体に言ってしまえば、「どうでもよい」場合が多いと思います。
つまり、こういった授業のやり方は書かれている内容にまったく左右されませんし(オーラル・インタープリテーションのレベルまで到達するなら別ですが)、練習の内容も結局はセンテンス以下のレベルで行なわれるわけですから、文章全体がどのようであるかは関係がありません。

そういうわけですから、文章構成などの言語面についても扱う余地はないといえます。
もちろん、このタイプの授業に他のタイプの要素を組み合わせて文章レベルの内容を扱うことはできますが、そのことについては後述します。

このタイプの授業は、まさにそのhowの部分が授業を成立させる根幹です。
教える内容については、(1)と同様に、それほどの専門的な知識を必要としません。
しかし、生徒が指示したとおりの活動を行ってくれなければ、この授業は見た目からして成立しないわけですから、そういう点では(1)コマよりは若干難度の高い授業と言えるでしょう。

【(3)情報の流れや文章の構成などのマクロな要素を理解することに主眼を置く授業】

いわゆるパラグラフ・リーディングと呼ばれる手法を扱う授業などがこれにあたります。
文章を文章として扱う点が前述の2つのタイプとは異なります。

たとえば、このように教材化することが考えられるでしょう。
授業の進め方については、(1)と同様にさまざまなバリエーションが考えられるでしょう。
ただ、発問に対する解答の自由度が上がるため、一斉講義式というよりは、生徒同士で話し合わせたり、異なる意見を拾い上げて比較検討するような局面を取り入れることが、自然と含まれやすくなるかと思われます。

このタイプの授業では、文章を文章として扱うための言語学的知識、たとえばテクストタイプについての知識であるとか、ディスコースについての知識、センテンス間での情報のつなぎ方等の情報構造についての知識などが教師の側になければ、生徒をそこに導くことはできません。
つまり、切り売りできる知識を、それなりの専門的な勉強をして身につけておかねばならない、という点で、授業の準備にかかる手間や経験が、より多く求められるといえます。

「地道にマジメに英語教育」から一部修正のうえ転載

山岡大基の教育論〈英語教育論編〉3」へ続く。

山岡大基(やまおかたいき)さん
中学・高校の英語教員
2001年度〜2004年度 近畿地方の高校
2005年度〜中国地方の中高一貫校に勤務

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