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崑崙

10年以上中国系のゲーム会社で活躍する北阪氏。崑崙日本株式会社で副社長を務める同氏が成功に賭ける想いとは?!

学歴は関係ない!グローバル競争を勝ち抜く

-中国系の企業で10年以上働いているとのことですが、中国企業で働く魅力とは?

北阪: ゲーム業界は日本でも平均年齢が比較的低いと思いますが、中国のゲーム会社は平均年齢が20代後半の会社が多く、日本の会社よりも更に元気で活発な印象があり、そういったところが魅力だと思っています。
また、中国社会全体が高度成長期であったことから、スケールした時の大きさが凄いので、自分も大きくスケールできる機会があるのではないか?と日々感じ考えながら働くことができるのも魅力の一つだと思っています。

-なぜ中国にこだわられているのですか?

北阪:私は高校を中退して、バックパッカーのようなことなどをしていました。
17歳の時に船で天津に行ったのですが、その船の中で知り合った方のススメで3週間の中国留学を経験したのが最初のキッカケだと思います。
その後上海人の恩師から一緒に上海でビジネスを興そうと話しを貰い、単身上海に渡りました。 そのビジネスは残念ながら1年で失敗してしまったのですが、“中国と関わるビジネスで成功したい!”という強い想いで、その後上海のゲーム会社に入社させて頂きました。そこからはご縁にも恵まれ中国系のゲーム会社で10年近く働いています。

-この10年で日中関係など色々と環境が変わったこともあるのでは?

北阪:日々、中国と接してきた10年だったので、中国が変わったのか、日本が変わったのか、自分が変わったのか、正直曖昧です(笑)。
ただ、日本の中国に対するイメージや接し方は大きく変わったと思います。
10年前は言葉を選ばずに言うと、全体的に中国を下に見ている方が多かったと思います。実際私も現地に住んで3年目くらいまではそういった考えが心の底からは消えませんでした。3年過ぎた辺りから本当の意味で対等に向き合えるようになったことを覚えています。
中国人から見た日本という意味では、以前は「日本人=勤勉」「日本製品=良い」というイメージが強く、「日本人」というだけで自動的に高い評価を得ることができていたことが多かったと思いますが、最近ではそういったイメージではなく、その人の本質的な部分を評価されるようになっていると思います。
「良いイメージ」という過去の遺産がなくなって、本当の意味で我々日本人がグローバル社会と向き合っていかなければいけなくなったという事だと思います。

アジアから世界へ

-御社は現在世界中に拠点を拡げていますが、各国の拠点との連携などはどのようにされていますか?

北阪:弊社は本社を北京に置き、日本・韓国・台湾・香港・タイ・マレーシア・北米・英国の全8カ国でビジネスを展開しています。
業務は事業部制になっており、同僚が各国にいるため、事業部ごとで定期的に集まってミーティングを行ったり、3ヶ月に1回は各国から代表者が集まっての本社ミーティングが行われるなど、密なコミュニケーションを心掛けています。
また、成績の良かった事業部には社員旅行などのインセンティブもあり、人間関係のつながりをより深められるように努力しています。

-言語や文化の違いなどはどのように乗り越えているのですか?

北阪:言語の違いは、本社、各海外子会社双方にバイリンガルのスタッフを配置し、意思疎通に問題が無いようにしています。
文化の違いに関しては現地のユーザー様にゲームサービスを提供していますので、現地の意見を重視するようにしています。

日中平和の実現に貢献したい

-今後のグローバル展開はどのように考えていますか?

北阪:中国からアジア、欧米への多国展開を進めること。そして世界中のゲームを中国に輸入して成功することの2点です。
崑崙日本としては、スマートフォンゲーム市場において日本の海外パブリッシャーとしてトップ3に入ることを目指しています。

-北阪さんご自身の今後の夢は?

北阪:大げさに言うと、実は日中の平和に貢献したいと思っています。と言いますのも、今の私があるのは、中国という大きな舞台を通じて知り合った、様々な中国人、日本人の方々に助けて頂き、多くのチャンスを頂いてこられたからだと思っています。
ですので、中国には自分を育ててもらったという気持ちが強いので、今以上に日中の交流が盛んになり、より多くの人に報道で見る偏った中国、日本ではなく、個人レベルでリアルな人間関係を築いて欲しい、またその一助となれればと思っています。
それがひいては、日中平和に繋がれば、と思い大げさに言ってみました(笑)。



北阪幹生

北阪幹生(きたさかみきお)さん
崑崙日本株式会社 副社長

2003年に単身上海へ渡り、現地で事業を興す。2005年に上海Winking社入社 09年に帰国し、上海UltiZen社日本事業立ち上げに参画する。
その後UltiZen社より当時子会社であったRED Entertainmentへ転籍。
RED EntertainmentとUltiZen社の資本業務提携解消に伴い崑崙日本に参画し、現在副社長を務める。

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